ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

「被」を使った受け身の表現

中国語の受け身の表現には
「被」「让」「叫」「给」などの
介詞を用います。

千と千尋」のセリフの中で
受け身の表現でよく使われていたのは
「被」でした。
というかほとんどが「被」です。

「让」もセリフによく出てきましたが
ほとんどが「使役」の意味で使われてました。
受け身で使われる介詞のうち
「让」「叫」は使役でも使われます。
使役についてはまた別の時に書きたいと思います。

「被」を使った受け身の表現は
「主語A」+「被」+「動作主B」+「動詞」+「付加成分」の形で表されて
「AはBに〜された」という意味になります。

受け身の文は
AがBによってなんらかの影響を受けて
その結果どうなったか、を述べる文なので
動詞の後ろには結果を表すために
なんらかの成分がつきます。
アスペクト助詞(了、过、着)や
補語(結果補語、方向補語)などです。


まずは、ハクが千尋
釜爺のところに行って働かせてもらうよう
お願いするように話した場面です。

在这里如果不工作
zài zhè li rú guǒ bù gōng zuò
ここでは仕事を持たない者は

就会被汤婆婆变成动物
jiù huì bèi tāng pó po biàn chéng dòng wù
湯婆婆に動物にされてしまう

前半の部分ですが
日本語のセリフでは「仕事を持たない者は」
と主語になっていますが
中国語では「もし仕事をしなければ」と
仮定をあらわしています。

それに続く文は、仮定を受けて「就」が入り
「会被汤婆婆变成动物」の部分が
受身の文となります。
主語は省略されていますが
セリフの流れから「仕事を持たない者」が
主語にあたるとわかります。

「汤婆婆」が動作主で、
動詞の「变」に結果補語の「成」が
付加成分としてついてます。
「湯婆婆に動物に変えられる」となります。


次はハクが千尋
湯婆婆が名前を奪うという話をする場面です。

名字一旦被夺走
míng zi yī dàn bèi duó zǒu
名を奪われると

就到现在都想不起自己的名字
jiù dào xiàn zài dōu xiǎng bu qǐ zì jǐ de míng zi
帰り道が分からなくなるんだよ

「名字一旦被夺走」が
受け身の部分になります。
「名字」が主語、
「夺」が「奪う」という動詞で
その後につく「走」は「その場から離れる」
ということを表す結果補語になります。
「動作主」は「湯婆婆」のことですが
ここでは省略されています。

「被」を使った受け身の場合は
「動作主」は省略することができますが
「让」と「叫」をつかった受け身の文では
「動作主」は省略することができませんので
もしこのセリフを「让」に置き換えるとしたら
「名字一旦让湯婆婆夺走」となります。

例えば「財布を盗まれた」というような
誰にされたか分からないような文の場合は
 

我的钱包被偷了 wǒ de qián bāo bèi tōu le
我的钱包让人偷了 wǒ de qián bāo ràng rén tōu le
 

このように「被」を使って動作主を省略するか
「让」を使った場合は省略できないので
不特定の「人」を入れて表現したりします。


次は銭婆の家の場面です。
千尋がハンコを返したときに
虫みたいなのを踏み潰した、
という話をした後の銭婆の返しです。

被你踩死了
bèi nǐ cǎi sǐ le
踏みつぶした!

主語は虫ですが省略されています。
日本語のセリフでは
受け身の表現になってませんが
中国語では「あなたに踏み潰された」と
受け身の表現になっています。

「踩」は「踏む」という動詞で
動作主「你」に踏まれた結果、
「死了」したってことを表しています。


最後はカオナシ大暴れの場面で
湯女が逃げながら言うセリフです。

他变得越来越大了
tā biàn de yuè lái yuè dà le
ますます大きくなってるよ

我不想被吃掉
wǒ bù xiǎng bèi chī diào
あたい食われたくない

受け身の文を否定する場合は
受け身の介詞の前に
「不」か「没」を置きます。
助動詞が入る場合はその前に「不」を置きます。

このセリフも動作主が省略されています。
「〜したい」という意味の助動詞の「想」と
否定の「不」が入って
「〜したくない」となります。
「掉」はなくなるという意味があり
「吃」の結果補語となり
「食べてなくなる」ことを表しています。

このセリフを
「私は食べられてません」という文にする場合
動作が実現されてないので「没」で否定します。

 我没被吃掉 wǒ mé bèi chī diào 



一般的には「被」は書面でよく使われて
「让」「叫」「给」の方が
話し言葉で使われるようですが
千と千尋」の中では受け身の表現は
ほとんど「被」が使われていました。
セリフは吹き替えも字幕も「話し言葉」なんですけどね。

中国語での受け身の表現は
ほとんどが「不愉快な場面」を表す時の
ようです。
確かに「動物にされる」「名を奪われる」
「踏み潰される」「食べられる」は
どれも被害に遭ってるようなセリフですね。