ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

「もともと」という意味の「根本就」

千と千尋」の中国語吹き替えの中で
「根本就」という言葉が何回か出てきました。

「根本」は「もともと」「まったく」
という意味の副詞で使われる言葉で
よく「就」とあわせて
否定文で使われるようです。
「もともと〜ない」「まったく〜ない」
という意味になります。


千と千尋」のセリフで見ていきたいと
思います。
まずはリンのセリフです。
千尋と一緒に大湯の掃除をする場面です。

真恐怖哎
zhēn kǒng bù ai
ひでぇ

根本就没洗过嘛
gēn běn jiù méi xǐ guo ma
ずーと洗ってないぞ、これ

「过」は「〜したことがある」
という経験を表し
「没」で否定しているので
「〜したことがない」となります。
「洗ったことがない」に「根本就」が加わり
直訳すると
「まったく(もともと)洗ったことがない」
というニュアンスになります。

今まで一度も洗ったことがない
ってことはないと思うのですが
それくらい汚かったってことでしょうか。
「今まで洗ったことがないんじゃないの?」
みたいな感じでしょうかね。


次は湯婆婆のセリフです。
千尋が「働かせてください」とお願いした時に
長々とお説教するセリフの一部です。

你看起来又笨又爱撒娇又爱哭
nǐ kàn qǐ lái yòu bèn yòu ài sā jiāo yòu ài kū
見るからにグズで甘ったれで泣き虫で

根本就一无是处
gēn běn jiù yī wú shì chù
頭の悪い小娘に

このセリフの後
「仕事なんかあるもんかね」と続きます。
「一无是处」は「良いところが全くない」
という意味の成語です。

「根本就」と合わせて
「もともと良いところが全くない」
というような意味になります。
この成語自体が否定の意味を含んでいるので
否定文と組み合わせた使い方と同じように
訳せますね。

日本語のセリフでは、
グズとか泣き虫とかの並びで
「頭の悪い娘」と言っているのですが
中国語では「良いところが全くない」っていう人格全否定になっています。
表現の仕方が違っていますが、
とにかく千尋をボロクソにけなしている
という部分では共通していますね。


次は千尋が銭婆の家から戻ってきて
たくさんの豚の中から父母を当てる場面です。

婆婆,不行
pó po   bù xíng
おばあちゃん、ダメ

这里面根本就没有我爸爸妈妈
zhè li miàn gēn běn jiù méi yǒu wǒ bà ba mā ma
ここにはお父さんもお母さんもいないもん

「根本就」があることで
「もともといない」「はじめからいない」
ということを表しています。
日本語のセリフでは「ここにはいない」
という表現しかしていないので
中国語の方がより詳しく説明しているように思います。



最後は湯婆婆のセリフです。
カオナシの正体を知って
湯婆婆が怒っている場面です。

真是的
zhēn shì de
ああ!まったく

这是怎么搞的?
zhè shì zěn me gǎo de  
何てことだろうね

他根本就是妖怪,无脸男
tā gēn běn jiù shì yāo guài   wú liǎn nán
そいつの正体はカオナシだよ

ここの「根本就」は否定文ではないですね。
「彼はもともと妖怪だ」となります。
「就」がなくても同じような意味になりますが
「就是」で「実に」というような
強く肯定するニュアンスになります。


どのセリフも「根本就」がなくても
文として成立しそうな気もしますが
あるのと無いのとではニュアンスがちょっと
違ってくるんでしょうね。

ただの否定よりも
「もともとそうじゃないんだ」
ってことを言いたい時に
うまく文章にもぐり込ませて
いい感じのニュアンスが伝えられると
いいと思います。