ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

「おちおち」を中国語でどう表現するか

風の谷のナウシカ」の中で
ミトのセリフで「おちおちしておれんわい」
というセリフがあります。

ユパ様が風の谷を久しぶりに訪れた場面で
トエトという女性があかちゃんを連れてきて
ユパ様に名付けのお願いをしたあと
「姫様のように丈夫に育ちますように」
と言います。

これに対してミトが
腐海遊びまで似ると困るぞ」と言い
ナウシカ
「おかげで王蟲の殻を見つけたのよ」
と言います。

それに対するミトのセリフです。
「しかしだ。城オジのわしの身になってみろ。
心配でおちおちしておれんわい」

この「おちおち」
中国語ではどのように表現されているのか
気になります。
中国語の吹き替えはこうなっています。

可是呢
kě shì ne
しかしだ

你也要替我想一想呀
nǐ yě yào tì wǒ xiǎng yi xiǎng ya
城オジのわしの身になってみろ

时时刻刻都要替你担心个不停呐
shí shí kè kè dōu yào tì nǐ dān xīn ge bù tíng nà 
心配でおちおちしておれんわい

まずは「わしの身にもなってみろ」です。
「替」は「〜に代わって」「〜のために」
という意味があり
「替我」で「私に代わって」となります。

「想一想」は動詞の重ね型の「想想」や、
「想一下」と同じ意味で
「ちょっと考える」「ちょっと考えてみる」
という意味になります。

直訳すると「あなたも私の代わりに
ちょっと考えてみるべきだ」となります。

次の「时时刻刻」は副詞で
「四六時中」「寝ても覚めても
などの意味があります。
「时刻」だけでも「いつも」「片時も」
という意味があります。
「时时刻刻」は「时刻」の重ね型みたいな
ものでしょうか。

「常常」とか「刚刚」とか
副詞で一文字でも使う言葉で重ねてる言葉、
よく見かけます。
同じような意味で使われていますが
ニュアンスはちょっと変わるのかな?
強調されるイメージがありますが
そのあたりの微妙な違い、どうなんでしょう。

「担心个不停」の部分ですが
「動詞」+「个」+「不停」で
「〜が止まらない」「〜がやまない」
という意味になるようで
「担心个不停」で「心配が尽きない」
というニュアンスになります。

この表現、例えばこんな風にも使えます。
 雨下个不停 雨が降ってやまない
 想个不停  想いが止まらない
 咳个不停  咳が止まらない

この「个」は量詞ですが
動詞と補語の間に用いて、動作の程度や結果を
いきいきと示す効果があるようです。

なんでこんなところに
「个」が入り込んでるんだろうって
時々そういう文章を見かけますが
なかなかこういう言い回しを使うのって
勇気がいります。
慣れなんでしょうね。

ミトのセリフに戻りますが
「时时刻刻都要替你担心个不停呐」は
「四六時中あなたのために心配が尽きないよ」
っていう感じになるんだと思います。

で、日本語の「おちおち」に相当する中国語
ってどの部分なのかな?と思いますが
そもそも「おちおち」ってどういう意味?
って感じもしますね。
意味を調べると「おちおち」は
打ち消しの語と合わせて
「落ち着いて〜できない」「安心して〜できない」という意味があります。

となると、「担心个不停」の部分が
「心配がとまらない」という意味から
「安心できない」となり
「おちおち」というニュアンスを表してると
言えそうですね。

「心配でおちおちしておれんわい」の部分
字幕ではこのようになっています。

可知道我有多担心你
kě zhī dào wǒ yǒu duō dān xīn nǐ

ここの「可」は疑問を表していて
「可知道」で
「知ってますか?」「分かりますか?」
という意味を表します。
「私があなたをたくさん心配しているのを
知ってますか?」となります。
「たくさん心配している」は
「どれだけ心配しているか」の方が自然かな?


「おちおち」という独特な日本語に
相当する中国語はないのかもしれません。
「安心して〜できない」という意味から
「心配する」という言葉を使って表現するのが無難なのかもしれません。

中国語のセリフをパッと見た時に
「时时刻刻」が「オチオチ」だと
勝手に思ったのですが
よくよく意味を調べてみたら見当違いでした。

日本語もなんとなくで使っているので
実は意味をよく分かっていなかったり
間違って使っていたり
そんな言葉もけっこうあるのかもしれません。

中国語も難しいですが、
日本語もまだまだダメだな、とか思いました。

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