ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

「因为」を使って理由を述べる

中国語で理由や原因を言いたいときに
よく使う表現があります。

「因为」という接続詞を使って
「なぜなら〜」「〜なので」「〜のために」
という表現ができます。
これに呼応して結果を述べるときには
「所以」を使うのが一般的です。

「因为」+「原因・理由の文」、
「所以」+「結果の文」という文章の構成で
「〜なので、だから〜」という意味になります。

因果関係がはっきりしているときなどは
「因为」または「所以」のどちらか、
または両方を省略することもあるようです。

また、「原因・理由」と「結果」の文は
順番を逆にすることもできるようです。


千と千尋」のセリフの中では
「因为」は何回か出てきましたが
いずれも「所以」は使われていませんでした。
省略されていたか、必要とされていないか、
ですね。
どのような使われ方をしているか、
紹介したいと思います。

まずは釜爺のセリフです。
ハクと出会った頃の話を千尋にしている場面で
魔法使いになりたいと言うハクに
「反対したけど彼は聞かなかった」
と話した後のセリフです。

他说因为他已经没办法回头了
tā shuō yīn wèi tā yǐ jīng méi bàn fǎ huí tóu le
もう帰るところはないと

最后他还是成了魔女的徒弟
zuì hòu tā hái shi chéng le mó de tú dì
とうとう湯婆婆の弟子になっちまった

「因为」以下の「他已经没办法回头了」が
理由を表す部分になります。
「没办法回头」は「後戻りができない」という意味があります。
「彼はもう後戻りができない」というのが理由になります。

直訳すると
「彼はもう後戻りができないので、と言って
最後には彼はやはり魔女の弟子になった」
という意味になります。

ここでの「因为」は「他说」以下に入って
「〜なので、と彼は言った」となり
それ以降は確かにその結果を表していますが
それは彼が言った言葉の続きじゃないので
「所以」で呼応していないのは当然の流れですね。


次は千尋のセリフです。
カオナシが大暴れして
千が招き入れたと湯婆婆が言ってる、
とリンから聞いた後です。

千尋因为我以为他是客人啊・・・
   yīn wèi wǒ yǐ wéi tā shì kè rén a      
   だってお客さんだと思ったから・・

リン:那该怎么办啊?
   nà gāi zěn me bàn a   
   どうすんだよ

「因为」以下の
「我以为他是客人啊」が理由になっています。
「お客さんだと思ったから」という理由で
その結果どうしたかというと
「だからカオナシを招き入れた」
ということを言いたいのだと思いますが
「・・・」で言葉は止まっています。
なので「結果」を表す文はありません。


次は銭婆の家の場面です。
帰りたくなっちゃった千尋のセリフです。

婆婆,我看我还是回去吧
pó po   wǒ kàn wǒ hái shi huí qù ba
おばあちゃん、やっぱり帰る

因为我在这里的时候
yīn wèi wǒ zài zhè lǐ de shí hòu
だってこうしてる間に

不定白龙死了
shuō bu dìng bái lóng sǐ le
ハクが死んじゃうかもしれない

我爸爸跟妈妈说不定会被吃掉
wǒ bà ba gēn mā ma shuō bu dìng huì bèi chī diào
お父さんやお母さんが食べられちゃうかもしれない

このセリフは
理由と結果の順番が逆になってるバージョンです。

最初の「我看我还是回去吧」が
「結果」を表していて
その後の「因为」以下は
全部「理由」になります。

「やっぱり帰る」
その理由は
「私がここにいる時間に、
ハクが死んじゃうかもしれないし、
父母が食べられちゃうかもしれないから
となります。

結果が先に来て、
原因や理由を後に述べる場合は
「所以」は使われないことが多いようです。


千と千尋」のセリフの中で
「所以」はあまり使われていませんでした。
最後の場面でこんな使われ方をしていました。

母:有人恶作剧吗?
  yǒu rén è zuò jù ma
  いたずら?

父:大概吧
  dà gài ba
  かなぁ?

母:所以我叫你不要去嘛
  suǒ yǐ wǒ jiào nǐ bú yào qù ma
  だからやだって言ったのよ

「所以」は「だから」の意味で
単独で使うこともできるようです。
だから私はあなたに行きたくないと言った」
となります。
特にその原因について
述べるということはないですが
前後の流れで言いたいことは伝わりますね。


「因为〜所以〜」という形は
結構かしこまった感じになるんでしょうか。
話し言葉ではどちらかが省略されることは
多いのかもしれません。