ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

「想不到」で思いもよらない気持ちを伝える

中国語で「想不到」という言葉があります。
「思いもよらない」「意外だ」
などの意味で使います。

ここでの「到」は結果補語で
「想到」で「思い出す」「思い至る」
という意味になります。
間に「不」が入ると
「〜できない」という否定形になり
「想不到」で「思い至らない」という
ニュアンスになります。


千と千尋」のセリフの中では
どのように使われていたのでしょうか。

まずは千尋のお父さんのセリフです。
車で迷ってトンネルの入り口にたどり着き
車を降りてトンネルの入り口の建物を
物色している場面です。

想不到是水泥做的
xiǎng bu dào shì shuǐ ní zuò de
なんだ、モルタル製か

这栋建筑物还蛮新的嘛
zhè dòng jiàn zhù wù hái mán xīn de ma
けっこう新しい建物だよ 

「水泥」は「セメント」という意味です。
セメントとモルタルの違いがイマイチ
よく分かりませんが
モルタルの意味を調べたら
「セメントと砂を水でねったもの」らしいので
中国語の翻訳と日本語の微妙な違いは
気にしないことにします。

「想不到」が文頭に来ていて
モルタル製」が「思いもよらなかったこと」だということを表しています。
日本語のセリフの「なんだ」の部分が
「想不到」にあたるわけですね。

字幕では「想不到」の部分が
「原来是」となっています。
「原来是」は「なんだそうだったのか」
という意味があるので
こちらでも同じようなニュアンスになりますね。

字幕では「水泥」の部分が
「灰泥」となっていました。
こちらは「モルタル」の意味らしいので
字幕の方が厳密に言えば正解なのかもしれません。


次は千尋のお母さんのセリフです。
匂いにつられて店の並ぶ通りに出てきた場面です。

父:往这走
  wǎng zhè zǒu
  ふんふん・・・こっちだ

母:真想不到
  zhēn xiǎng bu dào 
  あきれた

  这里全部都是卖吃的
  zhè li quán bù dōu shì mài chī de
  これ全部食べ物屋よ

千尋可是一个人也没有
   kě shì yī ge rén yě méi yǒu
   誰もいないね

「想不到」に「真」がついています。
「本当に」「実に」という意味の副詞で
「真想不到」で「本当に思いもよらなかった」と強調するニュアンスになります。
「ここは全部食べ物を売る店だ」ということが
「思いもよらなかった」ってことになりますね。

日本語では「あきれた」となっています。
「思いもよらない」→「まさか思いもしない」→「そんなバカな」→「あきれた」
っていう連想ゲーム的にたどっていけば
近いニュアンスなのかもしれません。

この部分、字幕ではこうなっています。

真令人讶异
zhēn lìng rén yà yì

全部都是小吃店
quán bù dōu shì xiǎo chī diàn

「令人讶异」は「あきれかえる」
「驚かされる」のような意味があります。
また違った表現方法ですね。


最後は湯婆婆のセリフです。
千尋が「働かせてください」と
お願いした場面です。
あの長いお説教の中の一部分ですね。
前後は長いので省略します。。
神様が癒しに来る湯屋なのに
お客様の食べ物を食い散らかして・・
みたいなことをわーわー言ってるところです。

想不到你妈妈爸爸居然能做出那种事
xiǎng bu dào nǐ mā ma bà ba jū rán néng zuò chū nà zhǒng shì 
それなのにお前の親は何だい!

「想不到」は「思いもよらない」ですが
「居然」も「意外にも」「あろうことか」
という似たような意味があり
(ニュアンスが違うのか?)
「お前の父母があんなことを仕出かした」
ということに対して
思いもよらなくて、あろう事かって思ってて
もう不信感がものすごいですね。


「想不到」は結果補語の否定形ですが
あまり細かい用法を考えすぎず
「想不到」というフレーズで覚えてしまった方が使いやすいかもしれませんね。

結果補語や方向補語の否定形も
セリフの中でいろいろと出てくるので
そのあたりもまた紹介していきたいと
思っています。