ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

「弄」はどういう時に使う言葉?

中国語で「弄 nòng 」という動詞があります。
初級で習うほどメジャーじゃないけど
その割にちょこちょこと見かける言葉です。

意味が多岐にわたるというか
なんだかふわっとしていて
イマイチつかみどころのない謎な動詞です
(と私が勝手に思っています)。

辞書によるとこうなっています。
①手で遊ぶ、いじる
②する、つくる
③どうにかして手に入れる
④運用する、弄する

でも実際の使われ方を見ると
辞書に載ってる通りとは限らなくて
「する」とか「やる」とか
何かの動詞の代わりに使っているような
そんな印象を受けます。

私の辞書には載っていないのですが
「弄」は結果補語と合わせて使うと
何らかの(具体的に示せない、または
示す必要がないような)動作の結果、
何らかの変化が起こることを示すそうです。
なんのこっちゃ?ってなりませんか(笑)


千と千尋」のセリフでは
このように使われていました。
まずは千尋の父母の会話です。

母:待会搬家公司的人来了怎么办啊
  dài huì bān jiā gōng sī de rén lái le zěn me bàn a
  引越しセンターのトラックが来ちゃうわよ

父:这你放心,我已经把钥匙给他了
  hè nǐ fàng xīn   wǒ yǐ jing bǎ yào shi gěi tā le
  平気だよ、カギは渡してあるし

  他们会帮我们弄好的
  tā men huì bāng wǒ men nòng hǎo de
  全部やってくれるんだろ?

お父さんはどうしてもトンネルに
入りたいんでしょうね。
「弄」は最後のところで使われています。

「帮」は「手伝う」という意味で
「他们会帮我们」の部分は
「彼らは私たちを手伝ってくれるだろう」
という感じになります。
「手伝う」という意味から「〜してあげる」
というように訳すこともできますね。

その後ろの「弄好的」が
ワタシ的にはふわっとした部分なのですが
この「好」は「何かをやり終えること」「やり終えた結果が満足できる状態であること」
を表す結果補語を表しているので
「弄」が「する」とか「やる」とかいう
意味だとしたら
「弄好」で「きちんと全部やる」という意味になるんだと思います。
「彼らはちゃんと全部やってくれるのでしょう」

「やる」は「引越し作業」を
指しているんだと思いますが
それを「弄」で表している形です。


次はリンのセリフです。
エレベーターでおしら様に遭遇した場面です。

欢迎观临
huān yíng guān lín
い・・いらっしゃいませ

你大概弄错了
nǐ dà gài nòng cuò le
お客様

这个电梯不上楼的
zhè ge diàn tī bú shàng lóu de
このエレベーターは上へはまいりません

「你大概弄错了」は
日本語のセリフにはない部分です。
「错了」も結果補語で動詞と組み合わせて
「〜し間違えた」という意味になります。
「弄错了」で何かを間違えたことを表していますが具体性がないですよね。
状況からして「エレベーターを乗り間違えた」ことを「弄错了」で表現しています。


次は坊のセリフ。
千尋に「遊んでくれないと泣いちゃうぞ」と駄々をこねる場面です。

坊:你的手我一用力就能弄断哦
  nǐ de shǒu wǒ yī yòng lì jiù néng nòng duàn o
  こんな手すぐ折っちゃうぞ
 
千尋好痛,好痛
   hǎo tòng   hǎo tòng
   痛い!痛い!

「断」は「切る」「折る」という動詞です。
「一〜就〜」は
「〜するとすぐに〜」という用法で
ここでは「力を出せばすぐに折ることができる」というふうに訳せます。
何を折るかというと
「你的手」で「あなたの手」ですね。
この赤ちゃん、めちゃくちゃ怖いこと言ってますよ。

「弄断」ですが、
「断」だけじゃダメなのかな?という疑問が。
このあたりもふわっとポイントなのですよ。
でも「断」を結果補語のような感じで捉えて(もしや結果補語なのか?)
「弄」という動作をした結果「切断した状態になる」というように理解できます。


次も似たような感じなんです。
湯婆婆が怪我をした竜のハクに向かって
いう言葉です。

把地毯都弄脏了
bǎ dì tǎn dōu nòng zāng le
あ〜あ、敷物を汚しちまって

ホントひとでなしですね。
怪我よりも絨毯を気にするなんて。

「弄脏」も「脏」だけじゃダメなの?と。
「脏」だけでも
「汚す」という動詞として使える言葉です。
先ほどと同様、「弄」という動作をした結果「汚した状態になる」ということでしょうか。


セリフの中で出てきた「弄」は
いずれも具体的な動作を示さずに
(「する」とか「やる」とかで表している)
その動作の結果なんらかの変化が生じています。
まさに最初に「なんのこっちゃ?」ってなった用法ですね。

こういうふわっとした動詞を
さりげなく入れ込むことが
初級から一歩踏み出して中級者っぽさを匂わすポイントなのかもしれません。