ジブリで中国語を学ぼう!

ジブリ映画の中国語吹き替えを聴いて中国語を勉強しています。

方向補語の「出来」


方向補語についての第3弾です。
今回は「出来」についてです。

「下来」「下去」についてはこちらです。
 ↓ ↓ ↓
方向補語の「下来」
方向補語の「下去」

「動詞/形容詞」+「出来」の形で表されます。
「出」は外方向へ出ていくことを示し
「来」は話し手に近づく方向を示します。
「出来」は「出て来る」という意味を
表しますが
それだけではないのが
方向補語のややこしいところ・・。

他にもこのような使い方をします。
・(知覚動詞を使って)識別する、分かる
・新しく事物が出現する、新しくできる
などなど。


千と千尋」のセリフでは
どのような使い方がされているのでしょうか。

まずはリンのセリフです。
釜爺のところで「働かせてください」と
千尋がお願いしてるところに
リンがやってきた場面です。

碗呢
wǎn ne
器は?

我不是叫你先拿出来的吗?
wǒ bú shì jiào nǐ xiān ná chū lai de
ちゃんと出しといてって言ってるのに

「拿出来」の部分ですね。
「拿」は「手で持つ」という意味です。
ここでの「出来」は単純に方向を示すものです。
「持って出てくる」という意味になります。

直訳をすると
「私はあなたに、先に持って出しておいてって言わなっかった?」
というような感じになります。


次はエレベーターで
湯婆婆の部屋へ向かう途中に
リンに向かって蛙男が入ったセリフです。

有味道,有味道
yǒu wèi dào   yǒu wèi dào
におうにおう

很好吃的味道
hěn hǎo chī de wèi dào
うまそうな匂いだ

你身上藏着什么东西
nǐ shēn shàng cáng zhe shén me dōng xi
お前何かかくしておるな

给我老实招出来
gěi wǒ lǎo shí zhāo chū lai
正直に申せ

イモリのクロヤキの取り合いの場面ですね。
最後の部分の「招出来」が方向補語になります。
「招」は「招く」「引き起こす」
などの意味が一般的ですが
「自分の罪を認める」という意味もあります。

「招出来」で「白状する」という意味として
定着しているようですが
この「出来」は「罪を認める」という動作が
「出て来る」ということをニュアンス的に
表しているんだと思います。
物理的に何かの移動を
表しているわけではありませんが
その動作が「出現する」「生み出される」
というような使い方になります。


最後はハクのセリフです。
千尋におにぎりをあげる場面です。

快吃吧
kuài chī ba
お食べ

哭出来就好
kū chū lai jiù hǎo
つらかったろう

来,还有啊
lái   hái yǒu a
さぁお食べ

泣き出した千尋を見て
「つらかったろう」と声をかけるシーンです。
中国語ではちょっと違った表現になっていますね。

「哭」は「泣く」という動詞です。
ここでの「出来」も「泣く」という動作が
出現することを表しています。
「哭出来」で「泣き出す」というような意味になります。

「哭出来就好」で
「泣き出すのは良いです」となります。
もう少しいいように訳すとしたら
「泣きたい時に泣けばいい」って感じでしょうか。

同じ「泣き出す」という意味で
「哭起来」という言葉があり、
むしろこちらの方が
よく使われてるように思うのですが
例文なんかを見ても「哭出来」も「哭起来」も
どちらも「泣き出す」と訳されているので
違いがよくわかりません。

「起来」も方向補語で
いろいろな意味を持つのですが
その中で「動作が始まり持続していくことを
表す」という用法があるので
「哭出来」は「泣くという動作が出現する」
「哭起来」は「泣き始めて泣き続ける」
というニュアンスの違いかもしれません。
実際はどこまで厳密に使い分けられてるか
分からないし、解釈違ったらすみません・・


「出来」のもう一つの使い方で
「知覚動詞を使って識別する、分かる」
という意味になる使い方は
千と千尋」のセリフでは
見当たりませんでしたが(たぶん・・)
例えば「看出来」で「見て分かる」「気づく」などのような意味になるようです。

こちらは「出て来る」というよりは
日本語の「出来る」に近いですね。